映画好きが薦める映画

洋画・邦画・アニメを問わず、世代を超え、皆さんに是非とも観ていただきたい映画を紹介していきます^^
評論家ではないので、堅苦しいことは抜きにして楽しく、たまにはアホな話も交えつつのお話をお届けします^^

バルトの楽園

「バルトの楽園」





この、映画は少し思い入れがあるというか、思い出すというか、、、


徳島県でゲストハウスを経営している友人がいて、そこに2週間ぐらいだったかなぁ。。
滞在していた事があって、まぁ、、、田舎なんで何もする事がないんですwwww
でも、やっぱり初めて訪れた土地だったので色々と散策はしてたんです。。


んで、上の記事にもあるように歴史あるものが近くにあると聞いたので行ってみると、
「へぇぇぇぇぇぇ」の連発で、中々面白かったんです^^



まぁ、ほんの少しですけど、古い物だったりに興味があったりするもんで自分なりには面白かったんです^^
そんな事を話していたら、友人がDVDを借りて来てくれたのが、この「バルトの楽園」。


この歴史に接する角度が変わったというか、
まぁ、ロケ地でもあるので、自分で思っている以上にミーハーな私はそれだけで楽しめたというオチなんですが、、、、



それはそうと、本題の映画なんですが、



「バルトの楽園」  「らくえん」とは読まず「がくえん」と読む!!!!



これがミソですwwww


まぁ、なんでミソなのかは、観たら解ります!!!!  ってゆーか、あらすじを読んだら解るwwwww




「バルトの楽園」






どんな映画というと、、、、 



第一次世界大戦中の徳島県鳴門市の板東俘虜収容所が舞台。


収容所所長・松江豊寿の活躍や、俘虜となったドイツ兵と地元の住民の交流などを史実に基づいて描いた作品です。


俘虜による楽団が『交響曲第9番 歓喜の歌』を日本で初めて演奏した。





という映画なんです。


ベートーベンの「第9」ですよ!!!


日本で初めて演奏されたのが、徳島県なんですよ!!しかも、、、第一次世界大戦!!!!!!


あっ、  元に戻しますww



ストーリーなんですが、




1914年に勃発した第一次世界大戦。日本軍はドイツの極東における拠点地である中国・青島を攻略した。


この戦いで敗れたドイツ兵4700人は捕虜として日本国内の12ヶ所の俘虜収容所に送られた。


徳島県鳴門市にある板東俘虜収容所では、


松江豊寿所長(松平健)の指導の下に、地元民と捕虜の融和を図ろうとする方針が取られていた。


ここでは捕虜たちによるオーケストラが活動し、パンを焼くことも印刷をすることも許されていた。


ソーセージを肴にビールを飲む自由さえあった。


脱走を計った捕虜・カルルがパン焼き職人だと知った松江所長はパン焼きを任せることにする。



捕虜たちは松江所長の温かい人柄に惹かれていくが、軍部からは、手ぬるいと批判を受けてしまう。


しかし松江は妻・歌子(高島礼子)の励ましもあってへこたれなかった。



そんなある日、日本とドイツの混血少女・志をが、ドイツ人の父を探してやってくる。


調べによって志をの父が戦死していたことが判る。ある兵士から父の形見のロケットを渡され、泣き崩れる志を。


そんな頃、捕虜たちが作った製品や菓子、演奏などを披露する世界でも類を見ない『俘虜製作品博覧会』が開催された。



そこで出会ったカルルと志をの間に親子のような交流が生まれる。



1918年11月11日、第一次世界大戦はドイツの敗北により終結した。


所内では青島の戦いを指揮したハインリッヒ総督(ブルーノ・ガンツ)が自殺未遂をおこしてしまう。


一命を取り留めたハインリッヒに、松江は自らの会津人としての誇りを語り、勇気づけるのだった。



終戦によって解放されたドイツ人たちは


松江所長や地元民への感謝を込めて


日本で初めてベートーヴェンの『第九』を演奏した。その高らかな演奏が響き渡り、


日本人とドイツ人の間に敵味方を越えた一体感が生まれる。




ハインリッヒは感謝の印に松江に愛用のステッキを贈呈し、カルルは日本に残って志をと共に生きていく決心をした。



様々な人々の想いを乗せて、『第九』は熱狂的な大団円を迎えるのだった



(Wikipedia等から抜粋・加筆・編集してます。)



文庫本も合わせて読むと、一層楽しめると思います^